のしてんてん
            
  十万人の顔                          トップへ  



1枚目から4000枚ごとに抽出して
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 通勤電車の中で描き続けた人々の顔が10万枚になり、画集を出版したものです。
 似顔絵と言うより、電車のなかの人々の顔から受けた一瞬の印象を数秒で描いた もので、
自分の心のままに手を動かしたその軌跡といえます。

 細い線のスケッチはボールペンで、太い線は油性のフェルトペンで描きました。  
 ここにはその一部を紹介いたします。














 うまく描こうとは思わない。
 うまく表現しようとも思わない。
 ただ心と体の連動した線をひきたい。













 ピカソのような、豪胆な放埓さがない。
 ゴッホのような、激しい執着心がない。
 ゴーギャンのような、たくましい決断と行動力がない。
 私のまわりの誰よりも、着実さがない。
 私は要するに、情けない人間なんだと、
 若さゆえの高慢が去った時に気付いた。










 疲れた心からはどんな感動も生まれてこない。
 生活に疲れやすくなって、
 私はそれを知った。














 何枚描いても無駄な線がなくならない。
 心と直接つながる線、
 本当にそんな線が引けるのか。
 ふとそんなふうに疑ってみる時













 どうして10万枚もスケッチする必要がある?
 そうきかれたことがある。
 それは云々と出まかせに、理屈はいくつだってできる。
 だが本当のところ、私にだってわかっていないのだ。













 帰り道の工事現場。路面が砂利と泥で荒れている。
 その上に一条の細い板を敷いた仮歩道、一人が歩けばいっぱいの道。
 向かいから玩具を持った男の子がやってくる。
 中ほどで私達は行き当たり、男の子は首を折り曲げるようにして
 私を見上げた。
 不思議そうな顔の中に、きょとんとした目が丸くなって、
 私の鼻の穴を見ていたのかも知れない。









 子供の頃、私は人のために生きたいと願った。
 風呂敷をマントにして、月光仮面に変身した。
 そして、人々を苦しめる悪者を懲らしめるために、
 大根畑を駆けめぐり、青い葉っぱを蹴散らした。
 不幸にも正義の味方は大男に見つかって追っ払われ、
 時には捕まえられて、こっぴどい目に会う事もあった。









 どうしてこんなに絵が下手なんだろうと思うときがある。
 絵はそんな所で価値が決まるものではないと言い聞かせても、
 むなしい時がある。













 私の向かい側の戸口近くに随分酔った男が座っている。
 ぐったりとして、苦しそうに体を動かし、 顔を両手で覆ったり放したりしている。
 彼の近くには誰も座らなくて、長い座席を一人で独占しているように見える。
 突然彼が吐いた。真向かいに座っていた人たちが逃げるように席を立った。 
 まわりの人々は顔をそむけた。男は人のいなくなった半円の中心で汚物にまみれていた。
 電車が止まった時だった。若い女が素早く男に近寄り、真っ白なハンカチを男に渡して降りた。
 すると次々に電車を降りる人々が男にハンカチを渡してゆくのだ。
 糊のきいた白シャツの紳士がいる。腰の曲がり始めたお婆さんがいる。また若い女性がいる。
 主婦がいる。中年のサラリーマンがいる。何枚ものハンカチを手にした男が茫然と、
 腰をかがめて座っている。ドアが閉まる。
 私の脳裏に真っ白な一枚のハンカチと、それに続く黄色や紺や,様々な模様が、
 いつまでも残った。







 電車の中の人々、私は膝いっぱいに紙を広げ、無断でスケッチを始める。
 それは時として人々のひんしゅくをかう。
 それを知りながら、私は毎日、電車の中に,迷惑をふりまいてゆく。














 がっしりと首の太い青年、
 若々しい力がその首の付け根から何かを打ち破ろうとしてうごめいている。
 たくましさと不安に戸惑いながら、
 しかしそれは明るい。